ペットにも様々さまざまなものがあるようだ。犬いぬやネコは(多おおくの)人ひとが飼かうものだが、小鳥ことりやハムスターを(飼かう人ひとも)いる。わたしも金魚鉢きんぎょばちに入いれた(金魚きんぎょを)飼かったことがあるが、部屋中へやじゅうが熱帯魚ねったいぎょの(水槽すいそうで)埋うまっている人ひともいる。ペットの(ヘビや)ワニが逃にげ出だしたというニュースを聞きくこともある。
(ペットは)生いきているものばかりではない。AIBOという(ペットロボットが)流行りゅうこうしたこともある。飼かい主ぬしの言葉ことばに反応はんのうしたり、(何なにやら)意味いみありげに動うごく姿すがたは、まるで(意思いしや)感情かんじょうがあるかのようだ。もちろんペットロボットを『飼かっている』人ひとは、(それが)生いき物ものではないことを知しっている。餌えさを(やらなくても)死しんでしまうことはないし、仕事しごとが忙いそがしいときは(電源でんげんを)切きればよい。そうすれば、生いき物もののようにうるさく騒さわぐことは(ない)。しかし、ペットロボットが故障こしょうしたときに、多おおくの『(飼かい主ぬし)』は、「どうしよう、私わたしのAIBOが死しんでしまう!」(と言いって)慌あわてるということだ。『飼かい主ぬし』にとって、(ペットロボット)は、あるときは生いきているし、あるときは生いきていない(ものなのだ)。
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